第3回まぜこぜ富山IN若鶴酒造の前に奥能登豪雨災害について

11/3 第3回まぜこぜ富山を開催しました。今年は第2回に続き、1年に2回の開催となりました。このひとつ前のブログに能登半島地震から7ヶ月経ってと書いた後に、9月、まさかの豪雨災害が奥能登を襲いました。

第2回は報道されない被災地として支援が届かなくなっていた氷見への被災地支援、今回は復興半ばでありながら、豪雨災害と2度にわたる被害を受けた奥能登への支援を行いました。輪島へ出向き、降り立った時、地震の後も絶句する光景だったのに、豪雨災害は緩んだ地盤で山の木々が倒れ、崖が崩れ落ち、道も家も落ちて、あまりの状況で涙が止まりませんでした。道が落ちる、家が落ちるってどういうこと?って文字だけ読めば想像もつかないと思います。あんな硬いアスファルトの道路が崩れ落ち、その上に建っている家も落ちているのです。家も車も埋まっていました。

山くずれで川に木々が押し寄せ、川の流れをせき止めた木々のせいで川が氾濫。家の中に大きな流木が突っ込んでいる。再建途中だった家や仮設住宅でさえも浸水、また避難所に逆戻り。復旧に人手も足りなければ、お金も必要。お年寄りが多い地域なだけに、日々の暮らしが成り立つのか心配で仕方がない。復興半ばでのこの豪雨災害。心が折れますよ。

豪雨災害直後に訪れた時は何ができるかわからないけれど、とにかく何ができるか確かめに行こうと思いました。長靴を履いて、ビニールの手袋をし、上着を着て、マスクをして。基地となる場所には配給品を貰いに来るお年寄りがたくさん来られていました。その日は急に寒くなった日だったので、西川寝具さんが毛布を差し入れてあり、また上着なども届いていました。お年寄りの方は、ぬかるみのある道を歩くのも危ないですし、ましては毛布はかさばって大きいので運ぶのも大変です。まずはそれを運ぶお手伝いから始めました。その日は、石破総理や立憲民主党党首の野田さんと政治家が訪れていました。このひどさを目の当たりにして彼らは何をするのだろうか。復旧が遅れている上にこの二次災害。これは、ボランテイアが身を削ってやるレベルではないです。着るものや食べるものがなぜ行き渡らないのか。直接、詰め寄りたいくらいでした。

この時は行方不明者の捜索で、ヘリコプターや自衛隊、警察が総動員されており、物々しい雰囲気が災害のひどさを物語っていました。ここはどこなの、、、と、現実でありながら非現実に感じてしまう、現実とは思えない悲惨な状況が目の前に広がっていたのです。

それから、数日経った時に友人夫妻が輪島の友人から炊き出しの手伝いを頼まれたという話を聞いて、私も連れて行って欲しいとお願いし、同行しました。

重蔵神社で1000人分のパエリアの炊き出しをされている京都の木下シェフと有志のシェフの手伝いで、パエリアを1000個分、具を乗せて、パック詰めして配布する。パック詰めしたパエリアは避難所や仮設住宅と多方面に配達、並んでいる方には整理券をお配りして、ここへ取りに来て頂きました。

京都から何時間もかけて、500人前の大きな大きなパエリアパンを2枚引っさげて何回も来てくださっています。聞くところによると、熊本の水害、東日本大震災も炊き出しに回られていたそうです。パエリアは具沢山でしかもシーフードとチキンと2種類ととっても美味しいのです。

被災した人も支援する人も、同じ釜の飯を食べて絆を深める、そんな心温まる時間でした。

そして、炊き出し終了後、木下シェフはボランテイアスタッフ用にパンを焼いてきていて、ハムとチーズを挟んだサンドウイッチを食べさせてくれました。シェフという職業の人は何人たりとも空腹では帰さない、、、そういう経験を私は何度かしたことがあるので、シェフという職業に尊敬の意が止まらないのです。輪島へ来たときは、いつもお腹ペコペコで帰っていたので、お腹いっぱいで帰るなんて初めてでした。

2度目の炊き出しヘルプは要領を得て、もう少し役に立てるかと出発からエプロンも装着。そして、重蔵神社から1時間はかかる被害が大きい町野へもパエリアを運びたいという私たちの要望を叶えてくれた木下シェフに、涙ながらにお礼を伝えて、配達に向かいました。

同じく京都のフレンチのシェフも町野のご出身ということで一緒に運んで配りました。

これから寒い冬が来ます。あの一本道の能登半島がどれだけ孤立せずに、冬をこえられるでしょうか。

現地にはボランテイアスタッフ、団体がいるものの足りていないのは確か。いつまで身を削れば良いのか。

町野町の唯一のスーパーであるもとやスーパーさんも豪雨災害で大打撃を受けましたが、配給場所として町民のために基地局となってくれています。

もし自分だったら、、、。目の前にいるお年寄りが自分の家族だったら。

もし自分が住む街だったら、、、。

まぜこぜ富山で集まったお金を寄付すると方針を決めたからには、現地に出向いて、地元の方の声を聞き、どこに寄付するかを決めなければなりません。

今回、地元の方とお話しして感じたことは、自治体ではなく、被災地に寄り添い続けていらっしゃる団体に寄付をお渡ししたいと思いました。

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